6月18日、伊方原発運転差止訴訟の第40回口頭弁論が、松山地方裁判所31号法廷で行われ、いよいよ結審の日を迎えました。
前夜からの大雨情報にヤキモキして迎えた18日。昼前にはすっかり天候が回復し、12時過ぎには原告が裁判所ロビーに集結、原告席出頭券の抽選を行いました。また、裁判所による36席の一般傍聴席を求めて四電関係者も含めて117人が暑い陽ざしの中、列を作りました。
入廷までのツイキャス中継動画(by 小倉正さん)
https://twitcasting.tv/togura04/movie/795976145
今回も香川から尾崎ご兄弟が手製の大きなバルーンや横断幕等を携えて裁判所前の通路で応援下さいました。また、大分から「伊方原発をとめる大分裁判の会」の4人の方々、東京からは「脱原発弁護団全国連絡会」事務局の松田さんがそれぞれ駆け付けて下さいました。
↑最後の原告意見陳述を控えた二人を囲む頼もしい応援団!
渾身の意見陳述が繰り広げられ
原告席には、薦田伸夫弁護団団長、中川創太弁護団事務局長、高田義之、今川正章、東翔の愛媛の弁護団諸氏に、高知から谷脇和仁弁護士と南拓人弁護士、広島から定者吉人弁護士の計8人、そして意見陳述を行う原告など、計32人が着席しました。結審のため開廷冒頭にはマスコミによる写真撮影が行われました。
須藤昭男さんの意見陳述
故郷・福島に払われた犠牲、流された血と涙を無駄にしないで
伊方原発をとめる会の事務局長である須藤牧師は、意見陳述を行う前に、故郷である被災地・福島を再訪。原発事故から12年半後の姿をしかと体感するためです。知人に案内された被災地でみたものは、国や県から聞こえてくる「復興」という言葉とは裏腹の厳しい現実でした。これらの事実や、原発の危険性についてどう話せば裁判官の方々の心に届くかと思い悩んでいた矢先、能登半島地震が起きました。能登半島の悲惨な被災状況を見て、多くの人々が3・11や原発の危険を思い起こしたに違いないと述べ、「一人ひとりの人格権は地球より重い。原発によってこれ以上の血と涙が流されないよう、司法判断をお願いしたい」と陳述を締め括りました。 須藤昭男さん意見陳述書
大野恭子さんの意見陳述
司法は未来を守り人権を守る最後の砦
大野さんは第一次伊方裁判(1978~2000年、伊方原発周辺の住民らによる本人訴訟)の支援者として、また、この訴訟の原告として26年間、裁判所に通い続けています。第一次裁判で原告側が主張してきた「伊方原発沖の活断層の存在」を国も四電も頑なに拒んできましたが、1996年になってその存在を認めざるを得なくなったこと、それにも関わらず豊永多門裁判長は敗訴を言い渡したと話し、これが東電福島第一原発事故につながったとも言える、と述べました。また、障がい者支援施設の社会福祉法人理事長として、原発事故時の避難の困難性について述べるとともに、環境、人権、尊厳等が守られることを強く求めました。そして、「司法は未来を守り人権を守る最後の砦として、福島原発事故と同じ悲しみと涙の過ちを起こさぬ判決を切に願う」と陳述を締め括りました。 大野恭子さん意見陳述書
薦田伸夫弁護団長の陳述
裁判所は地震の発生は止められないが、原発の運転は止められる
薦田伸夫弁護団長は、提訴以来12年半にわたる裁判の弁論終結にあたり、本年1月1日の能登半島地震を取り上げ、建設凍結となった珠洲原発が立地していたら日本壊滅の危機だったと述べました。ところが、能登半島地震のM(マグニチュード)7.6は、知られている最大の内陸地殻内地震の濃尾地震(明治24、M8.0)と比較すると、数十分の一の規模に過ぎないことを強調しました。
その上で、伊方原発直近にある中央構造線の地震は、その濃尾地震を遥かに超える巨大地震を起こす能力を秘めていると指摘しました。逆断層型の地震であった場合、震源が伊方原発の直下に来る直下型地震となるうえ、逆断層の上盤効果により、その上に立地する伊方原発の重大事故は不可避である。それなのに、四国電力は必要な三次元探査等を行おうとせず、逆断層ではないとして、その危険を全く検討していないと糾弾しました。
司法の使命は弱者救済にあるとして、原発訴訟は、住民の命や生活が懸かっていて事故が起きてから、裁判官が反省して済むような裁判ではないと断言。「裁判所が本来の使命を果たし、明快な運転差止の判決をされると信じている」と意見陳述を締め括りました。
最後に裁判長は、裁判の結審を告げ、2025年3月18日14時半を判決期日に指定しました。
記者会見・報告集会
閉廷後に、愛媛県美術館講堂で15時半頃から17時前まで記者会見・報告集会が行われました。
記者会見・報告集会のツイキャス中継動画(by 小倉正さん)
https://twitcasting.tv/togura04/movie/795980460
中川創太弁護士による裁判の弁論事項の紹介
*2011年の12月8日に提訴し、約12年半を経過して本日結審に至った。原告は1502人で、全国に散らばっている。四国ではすべての市町村に原告がいる。
*10年あまりの経過を経て主張/立証を尽くしてきたが、昨年の4月から証人尋問に入った。原告側が9名、被告側は4名、合計13名の証人尋問を4月から12月のタイトなスケジュールのなかで行った。(冒頭資料6頁参照)
*原告側は、まず渡部寛志さん(福島第一原発事故被災者)と、長生博行さん(伊方町二名津在住)の2人の原告本人尋問を行った。
*その後、原告側は専門家証人として、上岡直見先生(避難問題)、芦田譲京都大学名誉教授(地震問題)、野津厚さん(地震問題)、岡村眞高知大学名誉教授(地震問題)、町田洋東京都立大名誉教授(火山問題)、巽好幸神戸大学名誉教授(火山問題)、佐藤暁さん(原発安全対策)と、いずれも学界・業界のトップの方々に立証いただいた。
*被告側は証人を4名申請し、そのうち2名は被告四電の従業員で、専門家証人と呼べるのは、森伸一郎愛媛大学教授と奥村晃史広島大学教授のみ。この2人は地震に関する証言だった。被告側は避難、火山の問題については専門家証人はなしだった。
*以上の経過により、本日最終準備書面を提出。しかし、昨年12月12日の第39回口頭弁論の後の本年1月1日、能登半島地震が発生。その地震により、避難そのものができないことが判明した。今の避難計画は一時的に屋内退避をすると決めているが、多くの建物が損傷を受けて屋内退避の対象となる建物がない。避難用の放射線防護施設そのものが地震の被害を受けて気密性が低くなり使えない状況が明らかになった。これらを受けて本年の1月の段階で準備書面110を提出した。
*本日、原告が提出した準備書面は、準備書面110と2つの最終準備書面(本体330頁、火山編150頁)だった。また、準備書面に関連する書証(1173号証まで)を提出した。被告側からも原告の出した分量に匹敵する程度の準備書面とそれに関連する書証が提出された。
中川弁護士による丁寧な法廷での状況説明のあと、意見陳述をした3人から感想が語られました。
何としても勝訴しなければならないと 須藤事務局長
意見陳述を行った須藤さんは、「今日で結審するということが非常に感無量だ」、「何としても勝訴しなければならない。福島で流された血と涙を忘れないようにと思いながら本日まで来た。赤いネクタイは流された血です、流された涙です。絶対勝訴の気持ちで、3月18日を待ちたいと思う」と語り、最後に弁護団の先生方への感謝の言葉を述べました。
裁判所は最後の砦と 大野恭子さん
大野さんは、「今回、結審の日を迎えていろいろ思い出す。弁護団の先生方、事務局が無償で頑張って下さってこの日を迎えることができた。最後の砦として裁判所が機能を発揮してくれて、来年3月、勝訴の日を迎えたいと思っている」と語りました。
裁判官が政治的判断をしなければ勝訴間違いなしと 薦田伸夫弁護士
薦田弁護士は「裁判を通して四国電力の評価がおかしいことを充分に明らかに出来たと思う。本来、被告側に立証責任があるのだが、被告はそれが出来ていない。裁判官が政治的判断をしない限り、勝訴間違いなしだと思う。原発の裁判は、間違いなく原告の人格権があって、事故が起きれば侵害される。まさにこういう事件について裁判所が住民勝訴の判決をして、原発を差し止める。こういうことが本来的な司法の役目だと思っているので、どうしてもこの裁判は勝たなくてはいけない。最高裁という名前の「最低裁」があって、これが昔からいろんなことをやってきたのだが、勝たないことには実際に事故が起きてしまう。今の状態が続いてしまうに違いないということで、私は3月の判決に期して是非とも勝訴判決を得たいと思って今日の意見陳述をした」と語りました。
マスコミからの質問に答えて
*正確な原告数について
薦田弁護士は「原告数は、準備書面に『須藤昭男 外1501人』とあるように1502名。今日の愛媛新聞に1400人と書いてあったが、亡くなっている方が60数名おられる。本当は相続できるといいのだが、相続できないとの確定判例があり、残念ながら相続して訴訟を承継することができない。そこで、取り下げについても検討したが、故人の意思に沿わないのではということで現在の原告数になった。亡くなった方の請求については却下という判決になると思う。」と答えました。
*国がエネルギー政策をまた転換させたことや、他の原発裁判での判例についてどう思うか、との質問に対して
薦田弁護士は、国のエネルギー政策に対しては、無謀な戦争で儲けた旧財閥が戦後も解体されずに今度はアメリカの原発会社と組んで原発を54基も作って儲けようとした。福島事故後も同じ姿勢のままでいると説明。また、直近の大分裁判の敗訴については、松山裁判と主張点が違うこと、また専門家が一人だった大分裁判と違い、松山は7人のトップ級の専門家に立証頂いたことを強調。
中川弁護士は、提訴以来の長い期間が県民に伊方原発廃炉を諦めさせてきた面があるが、今回の能登半島地震で世論が変わった。裁判所は「社会通念」で判断してはならない。単に知らない人たちの考えによって判断してはならないと述べました。
記者会見後の報告集会では、まず二人の弁護士から、結審を迎えての感想が述べられました。
人の命をどれだけ大事にするかが試されていると 定者弁護士
「広島から来ているが、最後までお付き合いできてよかったと思っている。今回の裁判はいろんな論点があったが結局のところ人の命をどれだけ尊重するか、そういう社会に日本はなっているのかを問う裁判だと思う。福島で起きた事実をしっかり見て、今ここで踏みとどまらなくてはいけないということが裁判所の意識の中にしっかりと根を下ろしていれば、この裁判は勝てる。社会の潮目が変わっていることを期待しつつ来年3月の判決を待ちたいと思う。」
原子力発電の技術は禁じ手だと 高田弁護士
「原告、弁護団、いろんな方が結集してそれぞれの役割を果たして今日があると思う。原発の技術とは人間にとっては禁じ手であって、いかにそれが目先の便利があるとしても、必ず最後には破局をもたらす。禁じ手なのにそれをやすやすと乗り越えてしまっているのが今の政治の現実だ。しかし、それぞれの人がそれぞれの立場でできることをして、この禁じ手にあらがわなくてはならないと思っている。今の日本の政治、メディアの世界では、まっとうな論理、原則、事実が通用しなくなっているが、少なくとも司法の世界では事実と論理がまだ通用する領域だろうと思っている。松山地裁の判決もそういう先例となるはずだ。私たちすべてが原発政策に関しては、あらがい続けなければならない。そうしなければ、私たちは惨めで理不尽な運命に巻き込まれてしまう。そんな運命だけは御免こうむるというのが率直な私の裁判に参加した思いだ。」
参加者の声いくつか
高校生の娘さんと参加していた原告の渡部寛志さん(NPO えひめ311 代表理事)は、司会者に促されて、「この裁判に12年半も関わってきた。3・11当時に被災地で幼児だった娘は高校1年生になった。人の生死に関する裁判なので早く解決してほしい」と述べました。同じく、東京からの松田さんは、「夫は北条出身で大切な人のいる場所だ。能登半島地震を踏まえて本当に原発をとめてほしいと思う」と述べました。原告の松尾京子さんは、「社会を変えるのは私たち自身だ。そこに至るまでの各人の行動や個人としての市民の集まりが社会を変えていく。判決までの日々をどのように積み重ねていくかだと思う」と述べ、「共に走り出そう、歩き出そう」と提案しました。
最後に前事務局次長の松浦秀人さんが以下のように発言し、報告集会を終了しました。
「私どもの弁護団は弁護活動、法廷活動という点で、本当に一生懸命、本気で取り組んでいただいた。裁判というのは裁判官に対する説得活動だと私は理解しているが、弁護団の先生方は本当に松山地方裁判所の裁判官、お三方に対して丁寧に説明を尽くして下さったと感謝をしている。相手方の証人に対する反対尋問も、傍聴された方はご存じだと思うが、丁寧に鋭く追及していただいた。ああこんなことまで先生方、勉強されていらっしゃるんだと感心させられた。裁判官自身も被告側証人に対しても補充質問をするという場面があった。ただ聞くだけでなく自ら裁判体が質問をして事実を見極めようとする姿勢が見えたから、忖度のない裁判官であれば、必ず勝てると私は期待をしている。勝っても負けても高松高裁へ行かざるを得ないと思っているが、その際もよろしくお願いいたします。頑張りましょう。」
夕刻のNHKに10分枠で結審のニュース流れる 原告・大池さんも登場
裁判所前にはマスコミ各社が詰めかけ、報告集会にもテレビカメラが4~5台もありました。当日夕方のNHKニュースでは「追及ひめポン 四国電力伊方原発訴訟が結審 判決は来年3月」として10分弱の映像が紹介されました。本日の結審について、伊方訴訟の争点について、そして原告の大池ひとみさんへのインタビューで構成されていました。(文責 事務局)