2024年のノーベル平和賞は 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に!

2015年4月ニューヨークでのデモ行進 先頭の左から4人目・松浦秀人さん

証言を通して「核のタブー(核兵器使用の禁忌)」の確立に貢献

 10月11日、ノルウェー・ノーベル委員会ヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は、ノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表しました。授賞理由として、日本被団協は、被爆者の証言活動を通して核廃絶に尽力したこと、そしてその活動を次の若い世代に引き継いでいることを挙げています。

2010年コロンビア大学での被ばく証言 左側に被爆者と通訳

 当会の共同代表であり、前・事務局次長の松浦秀人さんは日本被団協の四国地区代表理事、愛媛県原爆被害者の会事務局長を務めておられます。松浦さんは胎内被爆者で、常日頃「原爆と原発は双子の兄弟」と人々に訴えられてこられました。そして、その言葉を体現されて、日本被団協の代表理事を務められると同時に、併せて、今年の5月まで伊方原発をとめる会の事務局次長として活躍されました。

 その間、北海道から鹿児島まで多くの被爆者団体の役員さんにお声かけして、伊方原発3号機運転差止訴訟の原告にお誘い下さいました。被爆者の方々はみな、「原爆も原発もNO!」と訴えていらっしゃいます。

 ノーベル賞報道のなかで新聞やテレビを通じてよくお見掛けする、日本被団協の代表委員の田中熙巳(てるみ)さん、箕牧智之さん、事務局長の木戸季市(すえいち)さんや、長崎の代表理事の横山照子さんも原告でいらっしゃいます。

 また、2021年に96歳で逝去された、広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)の理事長でもあった坪井直(すなお)さん、被爆医師として著名な肥田舜太郎先生、原爆で背中一面に大やけどを負いながらも核廃絶運動に生涯をかけて取り組まれ、2017年に核兵器禁止条約の採択を見届けて88歳で亡くなった谷口稜曄(すみてる)さんも、同じく伊方裁判の原告になって下さいました。

 伊方原発をとめる会としては、被団協の今回の受賞について、心よりお喜び申し上げると共に、「原爆と原発は双子の兄弟」との言葉を今一度噛みしめて、伊方原発3号機運転差止訴訟の3月18日の判決を待つ間もたゆまず人々に原発の危険を訴え続けてまいります。

松浦秀人さんからのコメントのご紹介:

被爆80年目前でのノーベル賞に励まされ

             日本被団協代表理事
             伊方原発をとめる会共同代表(前事務局次長)  松浦 秀人
 10月11日、日本被団協の会議(東京)からの帰路、松山空港に着陸した飛行機でスマホの受信機能を復旧したところ、「被団協のノーベル平和賞、おめでとう」のショート・メールが8件あって、驚きました。また電話の不在着信が23件(別にeメールが11件)。空港内に入ると愛媛新聞の記者が待ち受けていて、「コメントを」とのことでした。突然のことで大変驚いた次第です。
 2017年の核兵器禁止条約の採択前後の数年間は、被団協の受賞予測があり、東京の被団協事務所にはテレビカメラが数台待ち受け、地方在住の私でさえ受賞発表時刻にはどこにいる予定かと聞かれたりしたものでした。

 ところが本年の場合、9日からの被団協の会議に幾つかの新聞社が来ていましたが、どこの社からも「ノーベル賞」の声は出ていませんでした。そのため、機内のショート・メールには心底驚きました。

 今回はウクライナやガザにおいて、核兵器使用の危険性が高まる中での受賞です。ノーベル賞委員会はそうした情勢への警鐘として、日本被団協への授賞を選択したようです。
 地道な活動を続けてきた故人を含む先輩被爆者の功績に感謝するとともに、一日も早く戦争の火をとめてもらいたく、今回の受賞がそのために少しでも役立つのなら、こんなに嬉しいことはありません。

 私ども被爆者は、被爆80年の来年こそ、ノーモア・ヒロシマ、ナガサキの声を一段と大きくしたいと決意しています。そして核兵器禁止条約に日本政府が参加する上で、今回の受賞がその追い風になればと願っております。引き続きのご支援ご協力をお願いします。