11月13日、松山市民会館で第6回ミニ学習会を開催しました。福島原発事故避難者訴訟の愛媛訴訟原告団長であり、伊方原発をとめる会の共同代表でもある渡部寛志さんにお話をしていただきました。マスコミ取材もあり、26人の参加者が講演に熱心に耳を傾けました。
1) スライドによる自己紹介で
・実家は福島原発から12キロの南相馬市小高地区にあり、農業を営んでいて、学校給食に自 家製味噌も供給していたが、東電福島原発事故で全てがダメになった。
・13年の避難生活の中で、7~8回もの転居を強いられた。
・2016年7月に避難解除となった。故郷を守らなければとの危機感があり、2018年から南相馬市と愛媛県松前町との2拠点での農業生活を始めている。
・石手寺の加藤住職の仲介で、個人情報の壁がありながらも愛媛の避難者同士がつながって2012年5月にNPO法人えひめ311を設立。当初、270人ほどいた避難者も今は分かっているのが20数人。
2) 福島第1原発事故・損害賠償愛媛訴訟について
・2014年3月に松山地裁に国と東電を提訴し勝訴、高松高裁でも勝訴。追い詰められて10世帯25人で始めた裁判だったが、二審で一審より高い賠償が命じられるなどの成果を上げることが出来た。
・2022年最高裁での上告審口頭弁論で22歳の青年(震災当時11歳)が陳述し、避難生活中に弟を自死で失い、不登校も味わった苦しみについて語った。
・2022年6月17日最高裁で、菅野博之裁判長は、「現実の地震・津波は想定よりはるかに大規模で、防潮堤を設置させても事故は防げなかった」として国に法的責任はないと判断した。裁判官4人のうち3人の多数意見で、三浦守裁判官のみが国の責任を認める反対意見を述べた。
・最高裁での勝訴を確信していたので、人権の最後の砦であるべき最高裁での判決には心底落胆した。愛媛における25人で始めた裁判は終わり、自分たちが司法に訴える術は今のことろない。しかし、「被害を受けた人々の痛みを放置し続ける最高裁判決」を受入れたくはない、と強く思っている。
・2023年の復興庁による「震災関連死」によると、直接死と間接死の割合は、福島県では10:14と間接死の割合が高い。因みに、宮城県は10:1である。
3)福島の現状についての2つの映像の紹介
・東京新聞の「力を合わせて作った放射線量マップ2024」
・TBS NEWS DIGの「問われる『除染土』の行方『極めて非科学的』自宅が“中間貯蔵施設”に 福島・大熊町出身の男性が明かす危機感【つなぐつながる】
4)能登半島地震の支援について(2つの映像で紹介)
1.「居ても立ってもいられない」福島から愛媛へ そして能登半島へ 避難所で炊き出しを行い愛媛の郷土料理を【つなぐつながる】|TBS NEWS DIG
・渡部さん補足説明「2月4日に初めて現地入り。七尾町安泉寺の国分大慶住職と話していて、寺と志賀原発が12キロだと知った。たまたま福島の実家と福島第一原発が12キロだった。他人事と思えず、それ以来毎月能登半島支援を行っている。」
2.「NNNニュース 珠洲原発と志賀原発 井戸謙一弁護士、北野進さん」についての 動画紹介
5)原発に反対する渡部さんの想い
・13年前に私たちは、「絶対安全はうそであり、原発は危険である」と認識したはず。13年前の原発事故、その生の記憶がない若者が社会に出つつある。大人は彼ら彼女らに胸が張れるのだろうか。
・最高裁の菅野博之裁判長の判断が最終的なものとなる限り、今後の原発事故についても国には法的責任はないということになる。こんな仕組みでいいのか。
・福島県は、原発を絶対悪としてその存在を認めない。東電は粘ったが2018年に原発全機が廃炉となった。
・愛媛県も伊方原発で過酷事故が起これば福島と同じような道を選ぶことになるはずだ。
・能登半島安泉寺の国分住職の言葉、「自分で資料を集め学んで考える。そして自分で決める。」を自分も実践していくつもりだ。
NHK「ひめポン」で渡部さん、一人ひとりが考えてと訴える
この学習会の模様は当日のNHK「ひめポン」で放映され、渡部さんは「原発事故は2度と繰り返してはいけない。愛媛県で起きたらどうなるかを一人ひとりが考えてほしい」と強く訴えました。
渡部さんの講演のあと、参加者からの感想として、「能登半島を反転したら佐田岬半島に似ていると思った。完全に孤立すると改めて思った」、「石手寺で被災者が交流会を持っていたと初めて知った」、そして、自身が能登に支援に入っているという男性が、「現地で家一軒の泥を掻き出すのに10キロ袋が300も500も必要で5トン~6トンにもなった」との発言がありました。
最後に和田宰事務局次長が、12月7日(土)に、志賀原発廃炉に!訴訟原告団長の北野進さんの講演を企画していることを紹介して、学習会を終了しました。