2006年に原発運転差止判決した井戸謙一さんの講演会

idokennitigazo井戸謙一さんは、2006年、金沢地裁での志賀(しか)原発2号機運転差し止め訴訟において、国内で初めて住民側勝訴・運転差止めの判決を書いた裁判長です。その講演会を松山市で開催します。

日時 3月22日(日)13:30~16:00

場所 松山市男女共同参画推進センター 5F

2013年5月8日の東京新聞が井戸謙一さんについて書いていることが、ご当人のことをよく伝えていると思います。少し長くなりますが、その一部を以下に引用します。なんと言っても、ぜひ直接、井戸謙一さんの講演をお聴きください。資料も85コマのパワー・ポイント(プロジェクタ画面)が用意されています。(資料代500円:事務局でカラー印刷したもの)

なお、2006年金沢地裁請求認容の運転差し止め判決ののち、2009年名古屋高等裁判所原告逆転敗訴。2010年最高裁上告棄却。東京電力福島第一原発事故は最高裁上告棄却の翌年です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以下、東京新聞2013年5月8日記事より、その一部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二〇〇六年初頭、金沢地裁の裁判官だった井戸謙一さん(59)は眠れぬ夜を過ごしていた。冬なのに布団に入ると汗が噴き出す。三月に言い渡す判決の結論 は決まっていた。原発の運転差し止め。「批判は覚悟していた。ただ、国策を否定する以上、わずかな論理の破綻も許されない」。理由をどう組み立てるか悩み 抜いた。判決ができあがると、もう気負いはなかった。三月二十四日、法壇に立った井戸さんは、淡々と述べた。「主文、志賀原発2号機を運転してはならない」稼働中の原発の運転差し止めが初めて認められた。被告の北陸電力側はぼうぜんとし、原告住民から歓声が上がる。井戸さんは、おだやかな表情で騒然とする法廷を後にした。その時、導いた答えは、五年後の一一年三月に東京電力福島第一原発で起こった事故を予見していた。 「自分が正しいと思ったことは貫かねばならない」。裁判官は憲法と法律にしか拘束されない。国家権力はもちろん、担当外の裁判官からも干渉を受けない。憲法七六条が規定する裁判官の独立だ。
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