下記に掲げるのは、とめる会拡大幹事会の開催にあたっての草薙順一事務局長の挨拶です。1969年の伊方原発の建設当初からの巨視的な視点で、今日の情勢を分析したものです。裁判所の一連の不当な決定の背後にあるものについても、鋭く迫っています。
会議の構成員である私どもが共有するだけではもったいないと考えて、ここに公開します。一読に値する文書だと確信しています。ぜひお目通しをお勧めします。
2018年10月15日
事務局長 草 薙 順 一
消された光
1969年7月8日付の新聞に、伊方町に原発誘致の記事が掲載されました。同日、伊方町長は、関係地主120人の内、すでに70人が用地買収の仮契約を済ませていることを明らかにしました。秘密裏に事を進めていたのです。7月28日には臨時町議会で「原発誘致」を満場一致で決めました。以後約50年間、「命を守る」ための裁判闘争が住民によって始まりました。四国電力を被告とした土地売買無効確認訴訟、愛媛県知事を被告とした海水面埋立許可取消訴訟などのほか、反原発ビラ貼り刑事裁判までありました。
伊方原発を直接に対象とした裁判だけでも、6度目まで判決や仮処分決定ですべて住民敗訴でした。7度目に「火山現象」を理由に「伊方原発の立地は不適」という、2017年12月13日の広島高裁決定が初めての勝訴であり、光でした。決定内容は「2018年9月30日まで伊方3号機を運転してはならない」というものでした。火山現象を除いては、「新規制基準が合理的であり、伊方原発が新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の判断も合理的である」と述べた点や「期間が9月30日まで」と制限されていたことには、全く納得できず不満でした。それでも「原子炉を運転してはならない」という言葉に私たちは歓喜したものでした。
しかし、この喜びの光を消し去る決定が、2018年9月25日、異議審の広島高裁でなされました。その理由は、巨大噴火の危険をどのように想定すべきかは、社会通念によって判断せざるを得ないとし、①発生頻度が著しく少ない。②国は具体的対策を取っていない。③国民の大多数が格別問題にしていないと述べて、自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところがないとするのが社会通念であり、立地不適にならないと述べました。
更に2018年9月28日には、大分地裁の仮処分決定は「立地不適とせずとも原発の有する危険性が社会通念上無視し得る程度にまで管理され、客観的にみて安全性に欠けるところがないと評価できる。よって却下する」というものでした。
キーワードは「社会通念」です。「社会通念」とは広辞苑によれば、「一般社会で受け入れられている常識又は見解。良識」とあります。原発の有する危険性を一般社会が無視しているとはとてもいえません。そのことは世論調査でも明確です。裁判所の決定は条理に反しています。
なぜ条理に反した判断をするのか。その原因は3つあると私は思っています。第1は、裁判所は人事権と予算を政府に握られています。政府に弱いのです。第2は裁判官教育です。2013年2月の全国の原発担当の裁判官を集めての研究会でも「1992年の伊方最高裁判決の抑制的スタンスが妥当である」とか、「原発政策は高度の政治問題であるから、専門的知識を持たない裁判官がさまざまな司法判断を示せば、国のエネルギー政策に大きな混乱をもたらす」などの発言を外部講師などがしています。第3は送り込み人事です。最高裁事務総局経験者を原発担当の裁判官に任命しています。
従って今後も「社会通念」とか、「規制基準やその適合性に不合理はない」との裁判所の判断が続くと予想されます。
しかし、この不条理に私たちは負けることはできません。「正義は我にあり」です。「命を守る」為に、愚直に原発廃絶の運動を続けなければならないと決意するものです。